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ここから故郷に戻って、親や兄弟、妻や子供たちと再会できた方もいれば、空襲で悲しい現実を突きつけられた方もいるんだろう… それでも、日本の復興の先頭に立って、今の日本を作ってくれた。本当に感謝しかないです。
大竹駅から大阪や東京に向かう人達は広島駅を通る。眼前に広がる広島の焼け野原を見て何を思ったことでしょうか。
でもこうやって帰ってこれない人もいたんだよね…シベリア抑留とか。日本の土を踏めなかった方はどれだけ無念だったか
食料もなく弾薬もなく戦った兵士の皆様ご苦労様でした。ひろ。!~~さんがゴーサインをださなかつたら、わたしも父なし子じゃなかった。この気持わからないだろう😂
ただのお疲れ様じゃないよね。命懸けだったんだもん。その他大勢ではなく一人一人として見ました。ありがとうございます
貴重な空母葛城と巡洋艦八雲のカラー映像も素晴らしいけど、帰還された兵隊さんたちはこの後、戦後の日本を作り上げて下さったんだよなあ。この世代は働きづめ、感謝しかありません。本当にありがとうございます。
その後の団塊世代とクソバブルが日本傾けてるけどな。この人達が日本を再建してくれても、後継者育成まともにせずに媚び売る腐敗した連中を登用した責任は重いと思うわ。一番責任有るのは団塊世代とバブル世代だけどな。
当時、日本の空母が残っていたことも知らなかった。
@@TATANKA-nf4ck 空母は終戦時でも結構残っていました。しかし、飛行機と燃料とまともに着艦できるパイロットが全く足りませんでした。
昌樹ニニ三さん。結構残っていたという定義が分かりませんが、空母として完成した艦を27隻として、沈没判定されていない艦が6隻で復員輸送艦として参加できたのは僅か1割の2隻です。その2隻のうち鳳翔は難を逃れましたが、本動画の葛城は空襲で飛行甲板がめくれ上がっていました。残り4隻は、航行できない・機関は無事でも輸送に適さないなど被害が大きい艦でした。1963 TATANKAさんが書かれたコメントは、戦地からの引き上げ者の方々が港に迎えに来たのが日本の空母で驚いた、という逸話の事を指していると思われます(違っていたらスミマセン)。嘘を書かれている方がいますが、軍人恩給は1946年に一部を除き廃止されていますが1953年に復活して現在まで本人・遺族に給付され続けています。政府どうのこうのについてはノーコメント。
巡洋艦八雲は、日本海海戦参加艦ですね。
平然と歩いてるけど地獄のラバウルの死線を越えて来た方達なんだよね。
お前を芸術品にしてやるよ
皆様、身なりを整えていらっしゃっていて、実に敬服致します。ありがとうございました。
私の父がこの作戦に参加しました。「葛城」が日本に近付き「富士山」が見えたら、それを見て抱きあって泣いて喜ぶ者、それまで頑張っていた負傷兵が富士山を見て日本に帰れたと安心したのか、緊張が取れてそのまま息を引き取った者、日本に着くまで数々のドラマがあったようです。父は防空駆逐艦「秋月」で戦い、何とか生き残り、敗戦間際は人間魚雷「回天」で訓練していました。敗戦後に再び声がかかり復員作戦に出たようです。父は「終戦」とは言いません「敗戦」です。あ、既に90才過ぎていますがまだピンピンしています。
優ニ 平野 お勤めご苦労さまでした!
ありがとうございます。父に伝えます。父は下士官でした。
優ニ 平野 そうでしたか。90歳って事はもしかするとお父上は学徒出陣ですか?
父は横須賀の水雷学校出ました。学徒出陣された方の階級は士官「少尉」です。葛城での仕事は主にお偉いさんに食事を運んだり身の回りのお世話をしていたと言っています。
優ニ 平野水雷屋ですか。って事は、階級は少尉より下の上等兵ですか?
この様子を見てると如何にも日本人という感じがします。こんな状況にあっても、我先にというでもなく大騒ぎするわけでもなく、粛々と行動する軍人。一部の軍人の蛮行で鬼のような言われ方をすることがありますが、日本人は民間人であろうと軍人になろうとその本質は昔も今も変わりません。良くも悪くも規律正しい民族なんです。戦後の繁栄を享受した子孫として敬意をはらいます。
変わってますよ。昔と比べたら今なんて酷いもんでしょう。人情のにの字もありゃしません
今じゃ我先にトイレットペーパーや米を買うようになったからな
我先に買おうとしてしまうことはしょうがないと思うよ生活必需品とかだし。でも基本的に日本人は規律を守って行動する民族だと思う。
だから襟を正さなければならない!正す襟がある事を思い出させてくれてありがとうございます。今までので私の言動を省みます。
林健治 想像ですけど もうバスも、燃料も何も残っていなかったのでしょうね...
迎えに来てくれた葛城を見て、「まだ日本にはこんなデカイ船が残ってたのか」と励まされた人も多かったらしい
たいしたものだ。。。大型艦がまだあった!!!
幼少の頃、よく爺ちゃん家に泊まって一緒に寝てもらった。最後の戦地がラバウルだった事だけは教えてくれた。それ以上は何も語らず、布団の中でラバウル小唄(南洋航路)を少しだけ口ずさんでくれた。今思うと、辛い事を思い出させてしまっていたんだと、心が痛みます。
一緒に寝たのが何よりのおじいちゃん孝行のはずですよ。
私の祖父もラバウルに行っていました。雪風に乗って日本に帰って来たと言っていました。
@@corei7quadさんあの''幸運艦''と言われた雪風に乗艦されたとは!お祖父さんもまた、激戦の地から帰還された幸運の持ち主だったんてすね...
私の母も最初の旦那さんを南方の戦地で無くしています。子供の頃戦争の話を聞こうとしても「もう話したくない」と言っていました。戦争の一番の犠牲者は女性の方達だと思います。
涙流して歓喜する、各々の家族の姿が目に浮かぶ。本当に本当によく帰還された。お疲れ様でした。
💩
お疲れ様です。って思うけど戦後の日本を一から立て直すんですよね。凄い
今の平和な日本があるのは、この方達が戦い復興に努力してくれたおかげ。本当にご苦労様でした。そしてありがとうございます。
takaekunさん ラバウルからの復員の動画を見たのは初めてです。父から少しは聞いて想像していたのですが、感慨深いですね。私の父は陸軍歩兵第228連隊(愛知県と岐阜県の混成部隊)で、南支から転戦しながらガタルカナル戦で戦いました。父の記録には、昭和21年4月25日、歩兵228連隊に復員が発令されました。勝野中尉は残留隊長として105名を指揮したとあります。そして、昭和21年5月6日に病院船有馬山丸が入港。患者が少ないため運よく乗船出来、喜びに沸いたとあります。5月7日に出港したようです。陸軍戸山学校を出て将校になってから14年間の軍隊生活だった訳です。今になって、14年間はものすごく長かっただろうなあと思った次第です。亡くなるまで二度ガタルカナルへ慰霊に出掛けていますが、戦死した部下への想いはひとしおだったようで、「どうして、そこまでして、なけなしのお金を使ってしまうのか」と家族で喧嘩になったこともあります。私は厳しすぎる父の教育に心が折れそうになり、戦時中の父の苦労・苦難を理解出来ませんでした。今になって、こういう動画を見ると、申し訳なかったのかもしれないと思いながら見せていただきました。ありがとうございました。感謝!
引き揚げ船からの下船時も誰一人列を乱さず、粛々として整然に並んでゆく姿は誠軍規正しい日本の兵隊さん達です。
乱してまーす
そういう教育をされていたのでは?強制ですよ。自由が無いと言う事は悲しい事ですね。
@@松任谷由美-n4x ああ、そうですね
@@リョーマ-v5v ああ、そうですか、すいませんね
@@yuejihua あ?
ここの映像に写っている方も写っていない方も、命を懸けて国防に身を置かれた事を思うと感謝の思いが募ります
酒を飲んでいたらこの動画が一番に来た全く違う情景、無音だがこの雰囲気感じるといったらあれだが、ひしひしと伝わるものがあるひたすら先祖に感謝
@改心様を愛し讃える会 安倍がー基地外www
改心様を愛し讃える会 帰化人をぶっ壊す!
安倍政権のおかげで、悪夢そのものの民社党時代から抜け出られた。
@
おかえりなさい生きててくれてありがとう私たちのお父さんお母さんをさずかってくれてありがとう
奇跡の帰還劇永久平和祈願
本来であれば、日章旗を振った大勢の人々に大歓呼で迎えられるはずであった兵隊さんたちが……笑顔の方が一人もいないことに、心が締め付けられました。やはり…負けて帰ってきたこと、大勢の戦友が「靖国で会おう」と亡くなっていったのに自分たちは生き残ったこと…。悲惨な戦場の実態を目の当たりにしたこと…。色々な言い尽くせない思いがあったのだと思います。 心の中も「国に騙された!」と思っている方、「我々は何も間違ってはいない!オレはまだまだ戦えるぞ!」と思っている方、様々だったでしょう。今の時代から言うのも変ですが、「お疲れ様でした。ありがとうございました。」と言いたいです。ただ、最後のシーンで何人かの兵隊さんがカメラに向かって敬礼をしている姿に、ほんの少し救われた気がしました。 とても印象に残りました。
殆どの方が笑顔を見せない。お國の為に戦って、やがて終戦し日本に帰国して生きて本土の地を踏めたのに何故誰も笑わないんだ。誰も責める事などしないだろうに。
本当にお帰りなさい。そしてご苦労様でした。実はこの返信を入力中は😭でありました
@@kakattekoi1 今の価値観で捉えたらいかんよ。当時の兵隊からしたら、戦友が多く外地の土に倒れたのに、何故俺は負けて帰ってきたんだと考える人が多いと思う。つまり勝つために死しても国の為と征ったのに、負けて帰ってきては、生きていてもその生に対して意味を見いだせない心情であったんだろう。忠誠と死と勝利によって皇國軍人としての意義を見出してた彼ら軍人達の価値観は我々現代人には理解するのは難しいだろう。
@@マサマサ-j3o 戦友は戦死したのに、自分だけノコノコと帰ってきてしまったと悔やんでいたかもしれませんね。本当はどう思っているかわかりかねますが。
Mamuu みんなSEXできるから嬉しくて涙が出てますね
葛城ですら近づくとすごい威圧を感じるのだから瑞鶴、翔鶴、大和、武蔵、・・・どれほどの存在感だったのだろう。
大和級戦艦はわりと喫水上が高くせり上がっていないから、近づいても空母ほどの威圧感はなかったかもな。
hamanaxパッと見での艦の大きさで考えると空母系が1番威圧感じると思いますね...戦艦などは艦橋や主砲をしたから見上げるのが1番威圧を感じそう
赤城、加賀とかの迫力は言葉にできないくらい凄そう(小並感)
@@enshin7494赤城を生で見てみたい…
加賀は全高がすごいから迫力満点(甲板は海抜20~30m)
すげぇ。敗戦して帰還であっても整然と列を成し統率を乱すこともない。本当に昔の日本人は洗練されてる。
これが空母かぁ、でっけぇ帰ってきた兵隊さん達の顔が嬉しいというよりはすっごい疲れた、という感じとやっと終わったんだなって感じの顔してる
你们日本人战斗力挺垃圾的
@@yuejihua だれか日本語通訳してください
ネットで翻訳したところ、「日本の戦力はゴミ」みたいな意味が出てきました。あってるかわかりませんが
@@yuejihua 中国也差不多经济崩溃了😇
手を合わさず、見てはいられません。 帰還兵の皆様、本当にご苦労さまでした。これから、さらに苦難の復興作業が待っていると思うと、どう表現したらいいのか。彼らが居たから、今の平和と反映がある。頭をたれただただ感謝、感涙とともに。
敗戦の悔しさと帰国の喜び…複雑な心境だったでしょうね。駅へ向かうのもきちんと並んで…
すごい映像。内容も貴重だけれど、撮影技術もすごい。
3:47 の兵隊さん なんとなくイチローに見えた。凛としててカッコいい。
kazu f 日本人は今も昔もそのままですね。違うのは愛国心が薄れただけ
中村獅童さんにもちょっと似てる
右は宮根だな
出木杉 吹いていい場面かどうかわからないけど吹いた
本当に血縁関係者だったりして…本当に似てますね(笑)
なんか泣けるな。武装解除された空母の姿を見ると。
この皆さんが命懸けで日本を守ってくれたことに感謝。だからこそ今の日本があり、私が日本人として誇りをもって生きていける。
この皆さんが命懸けで戦後の日本を作ってくれたことには感謝するし、だからこそ今の日本があることは確かだろう。だけど、「日本を守ってくれた」はおかしい。最初に戦争を始めたのは日本。言っとくけど、意味不明の陰謀論は不要です。
@@Nx6XrvaLeJ 日本に戦争を始めさせたのはアメリカでしょ。国際世論的に有利に立つ為に自分からは攻撃をせず、日本が攻撃をするまで待っていた。当時アメリカはヨーロッパ戦線へ参戦する契機を狙っていたし、その為に独伊と同盟関係にあった日本から攻撃されるのを待った。陰謀論もクソも無いよ。
@@lice5688 ちょむにダーー!!兵役頑張ってる?野球銅メダル取れないとかやめたらww
@@miazena8378最初に「攻撃」をしたのはアメリカですか?日本ですか?問題をすり替えないでください。
@@miazena8378 その言い分もおかしいんだよね。仮にそうだと仮定しても、日本は日本で自己決定権があるんだから引っかからないように行動すればいいだけの話。貴方の書き方は、日本はバカでアメリカの策略にまんまと引っ掛かった無能ですと自白しているようなもん。右派はすぐこういう自慰行為を始めるけど、それって日本は馬鹿ですと言っているに等しいことに気づいていないのかねえ。日本が無謀な対米開戦を行ったのは今も昔も変わらぬ日本の悪しき体質、「流れに流される」(ドイツの攻勢をうのみにした)、「一度走り出したら止められない」(陸海軍にも政府にも少なからぬ者が対米戦は無謀だと考えていたし、何より陛下ご自身がそう考えていたにもかかわらず、空気に流されてだれも止めようとしなかった。)の結果だと思うがねえ。それでもドイツと異なって2点だけ賢かったのは、北進論を取らなかったこと、一部の狂信的将校の妨害を排除して陛下が終戦の聖断を下されたこと。
ほとんど音のない映像で涙したのは初めてです改めて帰還兵の皆様に敬意を込めて、敬礼
涙が出てきます。国家に尽くされた英霊と、先人に感謝・感謝…です。
兵隊さんたちの粛々とした撤退に「ああ、本当にものすごく強かったんだなあ」と。
亡くなった戦友のためにも、より良い日本にしたいって働き、高度経済成長期を支えた殆どが戦地から帰ってきた人達って聞きました。本当に感謝の気持ちしかありません。
今、大竹駅前のアパートでこの動画を見ている。背景が、見覚えのある風景に重なって、自分が現場にいるような不思議な感覚になる。すごい動画だ!
帰還された人達が焼野原になった日本を復興されたんですね・・・・。震災県民としては頭が下がります。
感謝の気持ちしかありません。命をかけて日本を守ってくださったご先祖の方々に恥じないよう頑張ります。
この日を待ちわびながら叶わなかった英霊のことを思うと言葉が出ない
貴重な映像です。若い方々に、日本人が本当に戦争をしていた事を伝えられます。
カラーになると急に戦争は本当にあったんだなと思わせられる
よく見るモノクロの画像や映像では、その記録の世界の物で終わってしまうんだよね。最近は技術の向上もあって、様々な画像や映像がカラー化され始めて、感情移入がしやすくなった。当たり前の事だけど、祖父や曾祖父はカラーでこの時代を生き、戦ったのだから。カラー映像に慣れてしまった世代には、モノクロだけでは伝わりにくい事柄が多いのは事実だね。
現代と地続きなんですよね
戦後100年も経ってないですからね
表情とか見てると今も昔も変わらないなって思う。戦ってくれてありがとう。
本当にお疲れ様でした(70年後の日本人より)
貴重な映像ですね。音楽など音を付けなかったのが良いと思う。
音量0にすりゃいいんですけどね
真夏まふゆ それ言っちゃダメなやつ笑笑
真夏まふゆ まぁだけど投稿者の思いやりが感じられる、それに元から音声入ってるやつだったら音声ゼロにしたら聞こえないもんね
祖父が軍医としてラバウルで戦いました。幼い頃祖父から戦時中の話や出来事をたくさん教えてくれました。30年以上経ちましたが絶対に忘れる事のない貴重な思い出です。家族を守ると誓って戦地に向かったと祖母から聞き今でも思い出すと涙がでます。
一条麗奈 軍医ということは医師だったんですね… 尊敬します。因みに僕の曽祖父は日中戦争に参加していました。無事、生還しました。現地の中国人は日本軍によって食料配給を受け、感染病の予防接種も受けていたみたいですよ。当時、中国政府の国民に対しての扱いが酷かったみたいです。とてもじゃないけど僕の曽祖父が現地の中国人を虐殺していたなんて想像もつきません。先祖に対する冒涜だと思います。
長きに渡りご苦労されましたね。お疲れ様でした。生きて帰ってくれて、私たちに命を繋げていただき、ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。これ以外の言葉が見つかりません
。 とっさん そうですね
4:32 帰ってきてもなお敬礼しててさすが日本を守った軍人だと思った。頭が下がる。
かずのこっち わたくしも映像の敬礼する復員兵さんに返礼してしまいました。
生きている時代が違うんです。
日本軍としての誇り、日本人としての誇りが伝わってきますよね
この映像、ご苦労さまでした。としか言いようがない。彼らが戦後の日本復興、再建の礎になった。大変なご苦労だったろう。敬礼!
『ご苦労様』は目下の人間に使う言葉
単純な認識!
皇军呸!日本人战斗力其实很差劲👎
南方に取り残されていた祖父を迎えに来てくれた葛城は命の恩人。もし葛城が祖父を迎えに来なかったら祖父は助からなかったし、葛城に日赤看護婦として乗り込んでいた祖母もここで祖父と出会っていなければ私の父親はもちろん、私もこの世に生を受ける事は無かったから、我が家のルーツは葛城あってこそ。血の通わない鋼鉄の空母(当時は既に空母の艦籍にはなく復員船ですが・・・)ですが、我が家にとって葛城は単なる“戦う兵器”や“忌まわしい戦争の遺物”ではなく、家族の歴史に影響を与えた大きな存在(守り神、縁結びの神様)──実質ご先祖様と同等かそれに準じる存在だと思ってます。今でも仏間の部屋には亡くなった祖父の遺影の隣に葛城の写真(複製)、床の間にはショーケースに入った葛城の模型が飾られ、認知症で物事が分からなくなった祖母が毎日欠かさず“葛城さん”にお茶を出して手を合わすのが日課になってます。
(;ω;)
太平洋戦争では、殊勲艦と言われる海戦で活躍した船も有りますが、それ以上に多くの復員者や海外居留民の命を運び、日本の再興の為に大活躍した、葛城の様な船こそ大殊勲艦です。正に命と希望を運んだ方舟ですね。お婆ちゃんが、葛城さんの模型にお茶を供える、良い話すぎて泣けてきます。この船が、運良く生き残ってくれたことが、数々の命を繋いでくれました。葛城さん、本当にありがとうございます。
私の亡き父もラバウルから引き揚げてきました。父に聞いても戦時中のことは、ほとんど話しませんでした。過酷な悲惨なことを思い出したくなかったんでしょうね。それでも、南東方面艦隊草鹿仁一司令長官からいただいた書を大事に持っていました。今思うとラバウル時代を懐かしんでいたのかも知れませんね。
帝国海軍最後の空母の最後の仕事美しいですねそして帰ってこられた皆さんお疲れ様でした
お疲れ様でした。日本を守るため尽力してくださりありがとうございました。
この動画を見て思ったことはただひとつほんとうに、ありがとうございました
泣けます💧本当にご苦労様でした。ありがとうございました。
2020年の春に見るとすごいと思う。終戦後の混乱期でもマスクはちゃんと足りている。
足りてないだろ。してない人も沢山いる。
@@My0018Tube 足りてないんじゃなくてその名の通りしてないんだろ、アホか
お、タンクマンやん
@@My0018Tube 今は企業がマスクを作るから足りなくなるけど昔は全て国営工場で作ってたから全ての国民には行き渡るようになってる
あの親中党が中国に大量にマスクを送らなければ良かったんだよ。しかし、コロナ過みたいな風景。
国敗れて山河在りしかし日本は敗戦しても日本人が居た。カラーで見ると俳優のようにいい顔してるね。軍隊は解体させられても最低限政府や自治体そして日本の社会は維持され機能していた。現在の世界各地紛争地域と比較して見ると日本の有り難さを痛感する。
賛否はあろうが、また、遅かったかも知れないが敗戦を受け入れたからてすかね。
そう?小野田少尉に比べたら、大分見劣りするぞw
嫁さんや母親や子供や恋人のために命を懸けた男たちだからね。そりゃ顔つきも違うよな
貴重で 凄すぎる。
みんなマスク着けてるのにビックリしたw
日本とドイツの復員兵の映像は、負けたもの悲しさと平和になった安堵感が混じっている。
映っている兵隊は非常に状態が良い。体格も、軍装も良好。衛生資材のマスクも支給されている。わたしの祖父はソ連兵に拳銃を突き付けられたが帰ってきました。
涙なしには見れません。帰還兵はきっとまだこんな空母が残ってたのかと驚いたのではないでしょうか、、
さすがラバウルの兵隊は、補給がいずれ途絶えると分かって早期に自給自足体制を取っていただけあって、健康状態が良いなみんな。日本軍の一番の敵だった飢餓に勝ってるな
さすが今村均大将ですよね。全てがその凄さを物語っています。
この帰還兵の映像を見て、やはり日本人は素晴らしい民族だと思いました。何の混乱もなく整然と列を作って大竹駅に向かう、祖国の為に遠い戦場に行き、生きて帰って来られた帰還兵の皆さんにただただ感謝とご苦労様でしたの言葉を捧げたいですね。私の父もシベリアから舞鶴港に帰還しました。この世代の方々が戦後頑張って働いたから、日本の高度経済成長も達成出来、今日我々が豊かな生活が送られるのですね。決して忘れてはいけない事ですね。
祖父の兄弟が葛城の乗組員でした。広島だったと思いますが、米軍に急襲され 甲板上は誰かも判別出来なくなった遺体だらけになり、泣きながらその遺体を収容したとゆう話を聞かされましたが、復員輸送艦の話は知りませんでした。貴重な映像をありがとうございます。
大変貴重な映像ですね
国の為に戦って無事に帰ってこられた方々。日本人としてこの方々の帰還を沿道いっぱいの人で万歳して迎えてあげたい
貴重な動画に感謝です、若しかしたら父もこの船に乗ってた様に思いますね、帰国後も父はラバウルの話をして住みたい様な事を聞きましたね。
父は最後の復員船となった葛城で、昭和21年3月8日小雪のちらつく寒空の大竹港に帰ってきた。赤道直下の戦場から帰ってきたのに、与えられた暖かいものは何一つなかったと聞いている。復員証明では乾パン600gと米300g、これのみである。いま私たちが平和を享受しているのは、誰のお蔭なのか、よくよく考えなければならない。平和ボケは許されない。
村田茂俊 平和ボケしていれることが平和なんだよ
@@オッズ-p2e 今の戦争を知ろうとしない平和ボケはダメなんだよ。決して日本だけが悪くはないが、知らないとまた繰り返す。
村田茂俊 核のおかげ
だからこそ、自称「押し付け憲法」にある不断の努力で以てよくよく国民主権を行使して政治を厳しく監視・督励し、我々一人ひとりがきちんと責任を引き受けてそのガバナンスを取らないとね♪
で、誰のおかげなの?
綺麗な画像にまず驚きました。そして復員の方々がとてもきれいな身なりをしてるのも驚きました
0;16からの葛城に近づく映像の、葛城の圧巻に思わず「すげぇ…」と声が漏れました…
このような方々がいたからこそ日本は占領されずに今の日本がある ありがとうございます
いやいやいや、占領されてるのも同然だろw
アメリカが日本軍を倒して平和と人権と民主主義を与えてくれたからこそ今の日本があるんですよ
そうですね。英語喋るようになってたかもしれませんね。感謝せねば。
日本史勉強しなかったの?www
私のおじいちゃんも、戦争に行って還ってきたけど、戦争の話は一度も聞いた事が無い。そりゃあ、言いたくないよな。復員してからは、お酒飲んでは大声で叫んでいたって。辛かっただろうな。でも必死に働いて四人の息子達を田舎の山奥から東京の大学に行かせて、尊敬する。とても真似できない。
大変貴重な映像でした皆様のおかげで今の日本があります
全員想像を絶する戦地を生き抜いて来たんやろうな
大竹出身です。このとき近くで、もう亡くなった祖父母や母が生きて生活していたのだと思うと感慨深いものがあります。
森山波羅九 同じく
祖父もラバウルから一年後に復員したと聞いていたので葛城に乗って帰ってきたのかな?小さい時に死んだから詳しい話がきけなかったのは残念
過酷な戦い、ご苦労様でした。あなたたちの奮闘があったから今の日本があると思います。私の祖父は満州で帰らぬ人となってしまったみたいですが、出来れば日本の地を踏ませてあげたかった。貴重な動画をありがとうございました。
みんなは悲しいな、日本の国土を拡大する為に、世界各地に戦争を発動し、民間人を殺した。実はみんなきっとそういうことしたくない
復員兵の方々の貴重なカラー映像だと思います。粛々と帰国されていたのですね。
ありがとう…今も日本国は健在です。安らかにお眠り下さい。
何気に拝見したけど、すごい貴重な映像だと思う。当時の空母や巡洋艦だけでなく、多数の帰還兵戦争があったことを我々に教えてくれる映像。皆さん日本を守ってくれてありがとうございました。敗戦はしたけど皆さんのお陰で今の平和な日本があります。我々も先輩に負けないように日本を守って元気にしなきゃ!
本物の日本兵を見れる貴重な記録ですね。私の年代では祖父にあたり、若い人には曽祖父にあたるでしょう。みなさん、引き締まった表情の中に、どこか日本的な優しさが感じられます。
私の父は、スマトラのプランテーションで働いていたのですが、終戦で、空母で大竹に引き揚げたと聞いています。しかし、シンガポール経由でしたので、この時ではないと思いますが、生きている間にこの動画を見せたかったです。
ラバウルは日本陸軍の良心、今村均中将が自給自足体制の屯田制で食料を作り弾薬生産工房や病院の建造、地下要塞まで構築して要塞化したことでマッカーサーがラバウル攻略を諦めて迂回したくらいだから結果的に多くの日本兵を救った名将なんだよな。
父は葛城で復員のために乗組員として十何航海したそうです。藤山一郎さんも復員された中のお一人で、艦内で歌を歌ってもらった思い出話しをよくしていましたね。
海軍最後の御奉公ですね。復員船で帰国された皆さんが、日本を復興されました。復員船の乗組員の皆さんも様々な想いが去来されたかと推察致しますが、日本復興への先導であったと思います。敬礼。
貴重な動画をありがとう大日本帝国最後の空母…お役目お疲れ様でした。
お疲れ様でしたきっともっと適切な言葉があるんだろうけど、自分の語彙力ではこれが精いっぱい
茶玄米 今に生きる自分達にとって彼らに言える言葉は「お疲れ様でした」これしかありません。
敗残兵でもとても規律と威厳があるのには心を打たれます。多くの米国人から何故日本兵は強かったのか米国に留学した人たちはよく聞かれたという。その理由が分かるように感じられる動画でした。
最後の方で敬礼をする方が映っていたけど、礼儀正しい日本兵だったんだね
小さいころ聞いた父の話、寡黙な人だったけど・・・戦争が終わってもらった給料が500円、こんなにくれるんだと驚いたけどそれがうどん一杯だったと笑った。ちなみに戦前の建築で我が家は500円で建てたと言っていた。風呂上がりの肩の傷もどうしてこんななのと聞いても弾が貫通したから良かった、治療は無かったけど治った。・・・普通の大正生まれの男だった祝日には玄関の横に大きな日章旗を掲げていたそんな景色が心の中にある、そう言えば忘れていたよすみません
当時も皆さんはマスクをしていますね。日本人が考える事は今のコロナと同じ有事の時は自分で最小限の努力をするという事ですね。今も昔も日本人の気質は変わらない!相手に迷惑をかけない。今の日本は再構築するべき時が来ましたね。
胸が熱くなりました。
敗北したとはいえ、無事に祖国に帰れてよかったですね…短い動画でしたが思わず目が熱くなりました…( ノД`)
30半ばのオッサンですか、大好きだった祖父(60才年上で他界してます)が乗ってました。私が小さい頃、祖父が毎年、葛城会という同窓会に参加してました。おじいちゃんを思い出せて嬉しいです。会いたいわ
敗戦しての帰還ですからね。見てて胸が痛みます。国と国の家族の為に命懸けで戦地に行き、苦難の末の帰国。安心とか嬉しさもありながら複雑なお気持ちだったでしょう。多くの戦友を亡くしたでしょうからね。しかし、この時も規律正しいですね。さすがです。本当にありがとうございました。
内地に帰れた!さぞ皆さん嬉しかっただろう!ホントにお疲れ様でした。
小さな島国が大国相手に4年近くもよく戦ったと思うよ
ほぼ全世界相手にすごいよ…この頃の方達は。
ドイツ、イタリアは表面上だけの同盟だったのか
@@CHANNEL-gg3ow 当たり前だな。
だから、未だに各国は日本🇯🇵という国を恐れているんだよ、負けても経済大国であり軍備も世界有数でね
松本健介 山本五十六がアメリカにだまし討ちしたからいかんのよ。ヨーロッパの国だけとしていたら負けなかった。。
ラバウルは米軍の戦略拠点を外れたとはいえ激戦地でしたから、これだけ元気な兵隊さんが帰ってこれたのはひとえに今村大将の指導力の賜物、そして帝国陸軍将兵がどれだけ頑強だったかを物語っていると思います。
皆さん元気に見えるのは敗戦後に配られた食事によって栄養が行届いた、と見れなくもないけど其々が持っている装備が良すぎる感がある。もしかしたら第一線の部隊ではなく、二線級の、都市部の警備などをしていた部隊じゃないかな?負傷兵・傷病兵の姿も見られないね。ですが皆様立派にお国のために南方に出征されていた方々です。無事に復員できてよかった。
うんもすんもなく戦争に駆り出された皆さん、そして戦後復興に邁進された皆さん。私たち現代人これだけ満たされてるのに文句言い過ぎです。ごめんなさい。この平和な日々を当たり前とせずもっと真摯な気持ちで過ごすべきだと思います。
3:35一人の個人の顔のアップ70年前とは思えない鮮明さこの人がどんな気持ちで戦争に行って、敗戦した日本に帰ってきて必死に生きてきたかそんな個人個人の必死さで、今の自分達の生活があると思うと、頭が下がる
おかえりなさい!良かったですね。無事のご帰国心よりお喜び申し上げます。皆さんのおかげで今の日本があります。有り難う御座いました。「ラバウル航空隊の軍歌」イイ歌でしたよく歌ってました(92歳ポンコツ爺)
乗船した兵隊さん達は葛城を目の当たりにして「日本にはまだこんな大きな艦が残ってたのか!」と大いに勇気付けられたそうです。
東京九段下の昭和館にはこの映像を含む戦前戦後の資料映像が沢山あります。アメリカやオーストラリアからの映像、また外国人が撮影した個人的映像も。ちなみに映像ライブラリーと図書室利用は無料です。満州関連も沢山あります。荒木大将や中野正剛の演説も。
復員船には今東京に展示されてある宗谷も使われてたそうです。
負けても整然と行進するようにあるいてる、日本兵立派です。
ここから故郷に戻って、親や兄弟、妻や子供たちと再会できた方もいれば、空襲で悲しい現実を突きつけられた方もいるんだろう… それでも、日本の復興の先頭に立って、今の日本を作ってくれた。本当に感謝しかないです。
大竹駅から大阪や東京に向かう人達は広島駅を通る。
眼前に広がる広島の焼け野原を見て何を思ったことでしょうか。
でもこうやって帰ってこれない人もいたんだよね…シベリア抑留とか。日本の土を踏めなかった方はどれだけ無念だったか
食料もなく弾薬もなく戦った兵士の皆様ご苦労様でした。ひろ。!~~さんがゴーサインをださなかつたら、わたしも父なし子じゃなかった。この気持わからないだろう😂
ただのお疲れ様じゃないよね。
命懸けだったんだもん。
その他大勢ではなく一人一人として見ました。ありがとうございます
貴重な空母葛城と巡洋艦八雲のカラー映像も素晴らしいけど、帰還された兵隊さんたちはこの後、戦後の日本を作り上げて下さったんだよなあ。この世代は働きづめ、感謝しかありません。本当にありがとうございます。
その後の団塊世代とクソバブルが日本傾けてるけどな。
この人達が日本を再建してくれても、後継者育成まともにせずに媚び売る腐敗した連中を登用した責任は重いと思うわ。
一番責任有るのは団塊世代とバブル世代だけどな。
当時、日本の空母が残っていたことも知らなかった。
@@TATANKA-nf4ck 空母は終戦時でも結構残っていました。しかし、飛行機と燃料とまともに着艦できるパイロットが全く足りませんでした。
昌樹ニニ三さん。結構残っていたという定義が分かりませんが、空母として完成した艦を27隻として、沈没判定されていない艦が6隻で復員輸送艦として参加できたのは僅か1割の2隻です。その2隻のうち鳳翔は難を逃れましたが、本動画の葛城は空襲で飛行甲板がめくれ上がっていました。残り4隻は、航行できない・機関は無事でも輸送に適さないなど被害が大きい艦でした。
1963 TATANKAさんが書かれたコメントは、戦地からの引き上げ者の方々が港に迎えに来たのが日本の空母で驚いた、という逸話の事を指していると思われます(違っていたらスミマセン)。
嘘を書かれている方がいますが、軍人恩給は1946年に一部を除き廃止されていますが1953年に復活して現在まで本人・遺族に給付され続けています。政府どうのこうのについてはノーコメント。
巡洋艦八雲は、日本海海戦参加艦ですね。
平然と歩いてるけど地獄のラバウルの死線を越えて来た方達なんだよね。
お前を芸術品にしてやるよ
皆様、身なりを整えていらっしゃっていて、実に敬服致します。ありがとうございました。
私の父がこの作戦に参加しました。「葛城」が日本に近付き「富士山」が見えたら、それを見て抱きあって泣いて喜ぶ者、それまで頑張っていた負傷兵が富士山を見て日本に帰れたと安心したのか、緊張が取れてそのまま息を引き取った者、日本に着くまで数々のドラマがあったようです。父は防空駆逐艦「秋月」で戦い、何とか生き残り、敗戦間際は人間魚雷「回天」で訓練していました。敗戦後に再び声がかかり復員作戦に出たようです。父は「終戦」とは言いません「敗戦」です。あ、既に90才過ぎていますがまだピンピンしています。
優ニ 平野 お勤めご苦労さまでした!
ありがとうございます。父に伝えます。父は下士官でした。
優ニ 平野 そうでしたか。90歳って事はもしかするとお父上は学徒出陣ですか?
父は横須賀の水雷学校出ました。
学徒出陣された方の階級は士官「少尉」です。葛城での仕事は主にお偉いさんに食事を運んだり身の回りのお世話をしていたと言っています。
優ニ 平野水雷屋ですか。って事は、階級は少尉より下の上等兵ですか?
この様子を見てると如何にも日本人という感じがします。
こんな状況にあっても、我先にというでもなく大騒ぎするわけでもなく、粛々と行動する軍人。
一部の軍人の蛮行で鬼のような言われ方をすることがありますが、日本人は民間人であろうと軍人になろうとその本質は昔も今も変わりません。
良くも悪くも規律正しい民族なんです。
戦後の繁栄を享受した子孫として敬意をはらいます。
変わってますよ。
昔と比べたら今なんて酷いもんでしょう。
人情のにの字もありゃしません
今じゃ我先にトイレットペーパーや米を買うようになったからな
我先に買おうとしてしまうことはしょうがないと思うよ生活必需品とかだし。でも基本的に日本人は規律を守って行動する民族だと思う。
だから襟を正さなければならない!正す襟がある事を思い出させてくれてありがとうございます。今までので私の言動を省みます。
林健治 想像ですけど もうバスも、燃料も何も残っていなかったのでしょうね...
迎えに来てくれた葛城を見て、「まだ日本にはこんなデカイ船が残ってたのか」と励まされた人も多かったらしい
たいしたものだ。。。大型艦がまだあった!!!
幼少の頃、よく爺ちゃん家に泊まって一緒に寝てもらった。最後の戦地がラバウルだった事だけは教えてくれた。それ以上は何も語らず、布団の中でラバウル小唄(南洋航路)を少しだけ口ずさんでくれた。今思うと、辛い事を思い出させてしまっていたんだと、心が痛みます。
一緒に寝たのが何よりのおじいちゃん孝行のはずですよ。
私の祖父もラバウルに行っていました。雪風に乗って日本に帰って来たと言っていました。
@@corei7quadさん
あの''幸運艦''と言われた雪風に乗艦されたとは!お祖父さんもまた、激戦の地から帰還された幸運の持ち主だったんてすね...
私の母も最初の旦那さんを南方の戦地で無くしています。
子供の頃戦争の話を聞こうとしても「もう話したくない」と言っていました。
戦争の一番の犠牲者は女性の方達だと思います。
涙流して歓喜する、各々の家族の姿が目に浮かぶ。本当に本当によく帰還された。お疲れ様でした。
💩
お疲れ様です。
って思うけど戦後の日本を一から立て直すんですよね。凄い
今の平和な日本があるのは、この方達が戦い復興に努力してくれたおかげ。本当にご苦労様でした。そしてありがとうございます。
takaekunさん ラバウルからの復員の動画を見たのは初めてです。
父から少しは聞いて想像していたのですが、感慨深いですね。
私の父は陸軍歩兵第228連隊(愛知県と岐阜県の混成部隊)で、南支から転戦しながらガタルカナル戦で戦いました。
父の記録には、昭和21年4月25日、歩兵228連隊に復員が発令されました。
勝野中尉は残留隊長として105名を指揮したとあります。
そして、昭和21年5月6日に病院船有馬山丸が入港。患者が少ないため運よく乗船出来、喜びに沸いたとあります。5月7日に出港したようです。
陸軍戸山学校を出て将校になってから14年間の軍隊生活だった訳です。
今になって、14年間はものすごく長かっただろうなあと思った次第です。
亡くなるまで二度ガタルカナルへ慰霊に出掛けていますが、戦死した部下への想いはひとしおだったようで、「どうして、そこまでして、なけなしのお金を使ってしまうのか」と家族で喧嘩になったこともあります。
私は厳しすぎる父の教育に心が折れそうになり、戦時中の父の苦労・苦難を理解出来ませんでした。今になって、こういう動画を見ると、申し訳なかったのかもしれないと思いながら見せていただきました。
ありがとうございました。
感謝!
引き揚げ船からの下船時も誰一人列を乱さず、
粛々として整然に並んでゆく姿は誠軍規正しい日本の兵隊さん達です。
乱してまーす
そういう教育をされていたのでは?
強制ですよ。
自由が無いと言う事は悲しい事ですね。
@@松任谷由美-n4x ああ、そうですね
@@リョーマ-v5v ああ、そうですか、すいませんね
@@yuejihua あ?
ここの映像に写っている方も写っていない方も、命を懸けて国防に身を置かれた事を思うと感謝の思いが募ります
酒を飲んでいたらこの動画が一番に来た
全く違う情景、無音だがこの雰囲気感じるといったらあれだが、ひしひしと伝わるものがある
ひたすら先祖に感謝
@改心様を愛し讃える会
安倍がー基地外www
改心様を愛し讃える会 帰化人をぶっ壊す!
安倍政権のおかげで、悪夢そのものの民社党時代から抜け出られた。
@
おかえりなさい
生きててくれてありがとう
私たちのお父さんお母さんをさずかってくれてありがとう
奇跡の帰還劇永久平和祈願
本来であれば、日章旗を振った大勢の人々に大歓呼で迎えられるはずであった兵隊さんたちが……
笑顔の方が一人もいないことに、心が締め付けられました。
やはり…負けて帰ってきたこと、大勢の戦友が「靖国で会おう」と亡くなっていったのに自分たちは生き残ったこと…。悲惨な戦場の実態を目の当たりにしたこと…。
色々な言い尽くせない思いがあったのだと思います。
心の中も「国に騙された!」と思っている方、「我々は何も間違ってはいない!オレはまだまだ戦えるぞ!」と思っている方、様々だったでしょう。
今の時代から言うのも変ですが、「お疲れ様でした。ありがとうございました。」と言いたいです。
ただ、最後のシーンで何人かの兵隊さんがカメラに向かって敬礼をしている姿に、ほんの少し救われた気がしました。 とても印象に残りました。
殆どの方が笑顔を見せない。
お國の為に戦って、やがて終戦し
日本に帰国して生きて本土の地を踏めたのに何故誰も笑わないんだ。誰も責める事などしないだろうに。
本当にお帰りなさい。そしてご苦労様でした。実はこの返信を入力中は😭でありました
@@kakattekoi1 今の価値観で捉えたらいかんよ。
当時の兵隊からしたら、戦友が多く外地の土に倒れたのに、何故俺は負けて帰ってきたんだと考える人が多いと思う。つまり勝つために死しても国の為と征ったのに、負けて帰ってきては、生きていてもその生に対して意味を見いだせない心情であったんだろう。
忠誠と死と勝利によって皇國軍人としての意義を見出してた彼ら軍人達の価値観は我々現代人には理解するのは難しいだろう。
@@マサマサ-j3o
戦友は戦死したのに、自分だけノコノコと帰ってきてしまったと悔やんでいたかもしれませんね。
本当はどう思っているかわかりかねますが。
Mamuu みんなSEXできるから嬉しくて涙が出てますね
葛城ですら近づくとすごい威圧を感じるのだから瑞鶴、翔鶴、大和、武蔵、・・・どれほどの存在感だったのだろう。
大和級戦艦はわりと喫水上が高くせり上がっていないから、近づいても空母ほどの威圧感はなかったかもな。
hamanaxパッと見での艦の大きさで考えると空母系が1番威圧感じると思いますね...戦艦などは艦橋や主砲をしたから見上げるのが1番威圧を感じそう
赤城、加賀とかの迫力は言葉にできないくらい凄そう(小並感)
@@enshin7494赤城を生で見てみたい…
加賀は全高がすごいから迫力満点(甲板は海抜20~30m)
すげぇ。
敗戦して帰還であっても整然と列を成し統率を乱すこともない。
本当に昔の日本人は洗練されてる。
これが空母かぁ、でっけぇ
帰ってきた兵隊さん達の顔が嬉しいというよりはすっごい疲れた、という感じとやっと終わったんだなって感じの顔してる
你们日本人战斗力挺垃圾的
@@yuejihua だれか日本語通訳してください
ネットで翻訳したところ、「日本の戦力はゴミ」みたいな意味が出てきました。
あってるかわかりませんが
@@yuejihua 中国也差不多经济崩溃了😇
手を合わさず、見てはいられません。 帰還兵の皆様、本当にご苦労さまでした。
これから、さらに苦難の復興作業が待っていると思うと、どう表現したらいいのか。
彼らが居たから、今の平和と反映がある。
頭をたれただただ感謝、感涙とともに。
敗戦の悔しさと帰国の喜び…複雑な心境だったでしょうね。駅へ向かうのもきちんと並んで…
すごい映像。内容も貴重だけれど、撮影技術もすごい。
3:47 の兵隊さん なんとなくイチローに見えた。凛としててカッコいい。
kazu f 日本人は今も昔もそのままですね。違うのは愛国心が薄れただけ
中村獅童さんにもちょっと似てる
右は宮根だな
出木杉 吹いていい場面かどうかわからないけど吹いた
本当に血縁関係者だったりして…
本当に似てますね(笑)
なんか泣けるな。
武装解除された空母の姿を見ると。
この皆さんが命懸けで日本を守ってくれたことに感謝。だからこそ今の日本があり、私が日本人として誇りをもって生きていける。
この皆さんが命懸けで戦後の日本を作ってくれたことには感謝するし、だからこそ今の日本があることは確かだろう。
だけど、「日本を守ってくれた」はおかしい。最初に戦争を始めたのは日本。言っとくけど、意味不明の陰謀論は不要です。
@@Nx6XrvaLeJ 日本に戦争を始めさせたのはアメリカでしょ。国際世論的に有利に立つ為に自分からは攻撃をせず、日本が攻撃をするまで待っていた。当時アメリカはヨーロッパ戦線へ参戦する契機を狙っていたし、その為に独伊と同盟関係にあった日本から攻撃されるのを待った。
陰謀論もクソも無いよ。
@@lice5688
ちょむにダーー!!
兵役頑張ってる?
野球銅メダル取れないとかやめたらww
@@miazena8378最初に「攻撃」をしたのはアメリカですか?日本ですか?問題をすり替えないでください。
@@miazena8378 その言い分もおかしいんだよね。仮にそうだと仮定しても、日本は日本で自己決定権があるんだから引っかからないように行動すればいいだけの話。貴方の書き方は、日本はバカでアメリカの策略にまんまと引っ掛かった無能ですと自白しているようなもん。右派はすぐこういう自慰行為を始めるけど、それって日本は馬鹿ですと言っているに等しいことに気づいていないのかねえ。
日本が無謀な対米開戦を行ったのは今も昔も変わらぬ日本の悪しき体質、「流れに流される」(ドイツの攻勢をうのみにした)、「一度走り出したら止められない」(陸海軍にも政府にも少なからぬ者が対米戦は無謀だと考えていたし、何より陛下ご自身がそう考えていたにもかかわらず、空気に流されてだれも止めようとしなかった。)の結果だと思うがねえ。
それでもドイツと異なって2点だけ賢かったのは、北進論を取らなかったこと、一部の狂信的将校の妨害を排除して陛下が終戦の聖断を下されたこと。
ほとんど音のない映像で涙したのは初めてです
改めて帰還兵の皆様に敬意を込めて、敬礼
涙が出てきます。国家に尽くされた英霊と、先人に感謝・感謝…です。
兵隊さんたちの粛々とした撤退に
「ああ、本当にものすごく強かったんだなあ」と。
亡くなった戦友のためにも、より良い日本にしたいって働き、高度経済成長期を支えた殆どが戦地から帰ってきた人達って聞きました。本当に感謝の気持ちしかありません。
今、大竹駅前のアパートでこの動画を見ている。背景が、見覚えのある風景に重なって、自分が現場にいるような不思議な感覚になる。すごい動画だ!
帰還された人達が焼野原になった日本を復興されたんですね・・・・。震災県民としては頭が下がります。
感謝の気持ちしかありません。
命をかけて日本を守ってくださったご先祖の方々に恥じないよう頑張ります。
この日を待ちわびながら叶わなかった英霊のことを思うと言葉が出ない
貴重な映像です。若い方々に、日本人が本当に戦争をしていた事を伝えられます。
カラーになると急に戦争は本当にあったんだなと思わせられる
よく見るモノクロの画像や映像では、その記録の世界の物で
終わってしまうんだよね。
最近は技術の向上もあって、様々な画像や映像がカラー化され始めて、感情移入がしやすくなった。
当たり前の事だけど、祖父や曾祖父はカラーでこの時代を生き、戦ったのだから。
カラー映像に慣れてしまった世代には、モノクロだけでは伝わりにくい事柄が多いのは事実だね。
現代と地続きなんですよね
戦後100年も経ってないですからね
表情とか見てると今も昔も変わらないなって
思う。戦ってくれてありがとう。
本当にお疲れ様でした(70年後の日本人より)
貴重な映像ですね。音楽など音を付けなかったのが良いと思う。
音量0にすりゃいいんですけどね
真夏まふゆ それ言っちゃダメなやつ笑笑
真夏まふゆ まぁだけど投稿者の思いやりが感じられる、それに元から音声入ってるやつだったら音声ゼロにしたら聞こえないもんね
祖父が軍医としてラバウルで戦いました。
幼い頃祖父から戦時中の話や出来事をたくさん教えてくれました。
30年以上経ちましたが絶対に忘れる事のない貴重な思い出です。
家族を守ると誓って戦地に向かったと祖母から聞き今でも思い出すと涙がでます。
一条麗奈 軍医ということは医師だったんですね… 尊敬します。因みに僕の曽祖父は日中戦争に参加していました。無事、生還しました。現地の中国人は日本軍によって食料配給を受け、感染病の予防接種も受けていたみたいですよ。当時、中国政府の国民に対しての扱いが酷かったみたいです。とてもじゃないけど僕の曽祖父が現地の中国人を虐殺していたなんて想像もつきません。先祖に対する冒涜だと思います。
長きに渡りご苦労されましたね。
お疲れ様でした。生きて帰ってくれて、私たちに命を繋げていただき、ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。
これ以外の言葉が見つかりません
。 とっさん そうですね
4:32 帰ってきてもなお敬礼しててさすが日本を守った軍人だと思った。頭が下がる。
かずのこっち
わたくしも映像の敬礼する復員兵さんに返礼してしまいました。
生きている時代が違うんです。
日本軍としての誇り、日本人としての誇りが伝わってきますよね
この映像、ご苦労さまでした。としか言いようがない。彼らが戦後の日本復興、再建の礎になった。大変なご苦労だったろう。敬礼!
『ご苦労様』は目下の人間に使う言葉
単純な認識!
皇军呸!
日本人战斗力其实很差劲👎
南方に取り残されていた祖父を迎えに来てくれた葛城は命の恩人。
もし葛城が祖父を迎えに来なかったら祖父は助からなかったし、葛城に日赤看護婦として乗り込んでいた祖母もここで祖父と出会っていなければ私の父親はもちろん、私もこの世に生を受ける事は無かったから、我が家のルーツは葛城あってこそ。
血の通わない鋼鉄の空母(当時は既に空母の艦籍にはなく復員船ですが・・・)ですが、我が家にとって葛城は単なる“戦う兵器”や“忌まわしい戦争の遺物”ではなく、家族の歴史に影響を与えた大きな存在(守り神、縁結びの神様)──実質ご先祖様と同等かそれに準じる存在だと思ってます。
今でも仏間の部屋には亡くなった祖父の遺影の隣に葛城の写真(複製)、床の間にはショーケースに入った葛城の模型が飾られ、認知症で物事が分からなくなった祖母が毎日欠かさず“葛城さん”にお茶を出して手を合わすのが日課になってます。
(;ω;)
太平洋戦争では、殊勲艦と言われる海戦で活躍した船も有りますが、それ以上に多くの復員者や海外居留民の命を運び、日本の再興の為に大活躍した、葛城の様な船こそ大殊勲艦です。正に命と希望を運んだ方舟ですね。お婆ちゃんが、葛城さんの模型にお茶を供える、良い話すぎて泣けてきます。この船が、運良く生き残ってくれたことが、数々の命を繋いでくれました。葛城さん、本当にありがとうございます。
私の亡き父もラバウルから引き揚げてきました。
父に聞いても戦時中のことは、ほとんど話しませんでした。
過酷な悲惨なことを思い出したくなかったんでしょうね。
それでも、南東方面艦隊草鹿仁一司令長官からいただいた書を大事に持っていました。
今思うとラバウル時代を懐かしんでいたのかも知れませんね。
帝国海軍最後の空母の最後の仕事
美しいですね
そして帰ってこられた皆さん
お疲れ様でした
お疲れ様でした。
日本を守るため尽力してくださりありがとうございました。
この動画を見て思ったことはただひとつ
ほんとうに、ありがとうございました
泣けます💧
本当にご苦労様でした。
ありがとうございました。
2020年の春に見るとすごいと思う。終戦後の混乱期でもマスクはちゃんと足りている。
足りてないだろ。
してない人も沢山いる。
@@My0018Tube
足りてないんじゃなくてその名の通りしてないんだろ、アホか
お、タンクマンやん
@@My0018Tube 今は企業がマスクを作るから足りなくなるけど昔は全て国営工場で作ってたから全ての国民には行き渡るようになってる
あの親中党が中国に大量にマスクを送らなければ良かったんだよ。しかし、コロナ過みたいな風景。
国敗れて山河在り
しかし日本は敗戦しても日本人が居た。カラーで見ると俳優のようにいい顔してるね。
軍隊は解体させられても最低限政府や自治体そして日本の社会は維持され機能していた。
現在の世界各地紛争地域と比較して見ると日本の有り難さを痛感する。
賛否はあろうが、また、遅かったかも知れないが敗戦を受け入れたからてすかね。
そう?小野田少尉に比べたら、大分見劣りするぞw
嫁さんや母親や子供や恋人のために命を懸けた男たちだからね。そりゃ顔つきも違うよな
貴重で 凄すぎる。
みんなマスク着けてるのにビックリしたw
日本とドイツの復員兵の映像は、負けたもの悲しさと平和になった安堵感が混じっている。
映っている兵隊は非常に状態が良い。体格も、軍装も良好。衛生資材のマスクも支給されている。
わたしの祖父はソ連兵に拳銃を突き付けられたが帰ってきました。
涙なしには見れません。
帰還兵はきっとまだこんな空母が残ってたのかと驚いたのではないでしょうか、、
さすがラバウルの兵隊は、補給がいずれ途絶えると分かって早期に自給自足体制を取っていただけあって、健康状態が良いなみんな。日本軍の一番の敵だった飢餓に勝ってるな
さすが今村均大将ですよね。全てがその凄さを物語っています。
この帰還兵の映像を見て、やはり日本人は素晴らしい民族だと思いました。何の混乱もなく整然と列を作って大竹駅に向かう、祖国の為に遠い戦場に行き、生きて帰って来られた帰還兵の皆さんにただただ感謝とご苦労様でしたの言葉を捧げたいですね。
私の父もシベリアから舞鶴港に帰還しました。この世代の方々が戦後頑張って働いたから、日本の高度経済成長も達成出来、今日我々が豊かな生活が送られるのですね。決して忘れてはいけない事ですね。
祖父の兄弟が葛城の乗組員でした。広島だったと思いますが、米軍に急襲され 甲板上は誰かも判別出来なくなった遺体だらけになり、泣きながらその遺体を収容したとゆう話を聞かされましたが、復員輸送艦の話は知りませんでした。貴重な映像をありがとうございます。
大変貴重な映像ですね
国の為に戦って無事に帰ってこられた方々。
日本人としてこの方々の帰還を沿道いっぱいの人で万歳して迎えてあげたい
貴重な動画に感謝です、若しかしたら父もこの船に乗ってた様に思いますね、帰国後も父はラバウルの話をして住みたい様な事を聞きましたね。
父は最後の復員船となった葛城で、昭和21年3月8日小雪のちらつく寒空の大竹港に帰ってきた。赤道直下の戦場から帰ってきたのに、与えられた暖かいものは何一つなかったと聞いている。復員証明では乾パン600gと米300g、これのみである。いま私たちが平和を享受しているのは、誰のお蔭なのか、よくよく考えなければならない。平和ボケは許されない。
村田茂俊 平和ボケしていれることが平和なんだよ
@@オッズ-p2e 今の戦争を知ろうとしない平和ボケはダメなんだよ。決して日本だけが悪くはないが、知らないとまた繰り返す。
村田茂俊 核のおかげ
だからこそ、自称「押し付け憲法」にある不断の努力で以てよくよく国民主権を行使して政治を厳しく監視・督励し、我々一人ひとりがきちんと責任を引き受けてそのガバナンスを取らないとね♪
で、誰のおかげなの?
綺麗な画像にまず驚きました。
そして復員の方々がとてもきれいな身なりをしてるのも驚きました
0;16からの葛城に近づく映像の、葛城の圧巻に思わず「すげぇ…」と声が漏れました…
このような方々がいたからこそ日本は占領されずに
今の日本がある
ありがとうございます
いやいやいや、占領されてるのも同然だろw
アメリカが日本軍を倒して平和と人権と民主主義を与えてくれたからこそ今の日本があるんですよ
そうですね。英語喋るようになってたかもしれませんね。感謝せねば。
日本史勉強しなかったの?www
日本史勉強しなかったの?www
私のおじいちゃんも、戦争に行って還ってきたけど、戦争の話は一度も聞いた事が無い。そりゃあ、言いたくないよな。復員してからは、お酒飲んでは大声で叫んでいたって。辛かっただろうな。でも必死に働いて四人の息子達を田舎の山奥から東京の大学に行かせて、尊敬する。とても真似できない。
大変貴重な映像でした
皆様のおかげで今の日本があります
全員想像を絶する戦地を生き抜いて来たんやろうな
大竹出身です。このとき近くで、もう亡くなった祖父母や母が生きて生活していたのだと思うと感慨深いものがあります。
森山波羅九 同じく
祖父もラバウルから一年後に復員したと聞いていたので葛城に乗って帰ってきたのかな?小さい時に死んだから詳しい話がきけなかったのは残念
過酷な戦い、ご苦労様でした。あなたたちの奮闘があったから今の日本があると思います。私の祖父は満州で帰らぬ人となってしまったみたいですが、出来れば日本の地を踏ませてあげたかった。貴重な動画をありがとうございました。
みんなは悲しいな、日本の国土を拡大する為に、世界各地に戦争を発動し、民間人を殺した。実はみんなきっとそういうことしたくない
復員兵の方々の貴重なカラー映像だと思います。粛々と帰国されていたのですね。
ありがとう…今も日本国は健在です。安らかにお眠り下さい。
何気に拝見したけど、すごい貴重な映像だと思う。
当時の空母や巡洋艦だけでなく、多数の帰還兵
戦争があったことを我々に教えてくれる映像。
皆さん日本を守ってくれてありがとうございました。
敗戦はしたけど皆さんのお陰で今の平和な日本があります。
我々も先輩に負けないように日本を守って元気にしなきゃ!
本物の日本兵を見れる貴重な記録ですね。私の年代では祖父にあたり、若い人には曽祖父にあたるでしょう。みなさん、引き締まった表情の中に、どこか日本的な優しさが感じられます。
私の父は、スマトラのプランテーションで働いていたのですが、終戦で、空母で大竹に引き揚げたと聞いています。しかし、シンガポール経由でしたので、この時ではないと思いますが、生きている間にこの動画を見せたかったです。
ラバウルは日本陸軍の良心、今村均中将が自給自足体制の屯田制で食料を作り弾薬生産工房や病院の建造、地下要塞まで構築して要塞化したことでマッカーサーがラバウル攻略を諦めて迂回したくらいだから結果的に多くの日本兵を救った名将なんだよな。
父は葛城で復員のために乗組員として十何航海したそうです。藤山一郎さんも復員された中のお一人で、艦内で歌を歌ってもらった思い出話しをよくしていましたね。
海軍最後の御奉公ですね。復員船で帰国された皆さんが、日本を復興されました。復員船の乗組員の皆さんも様々な想いが去来されたかと推察致しますが、日本復興への先導であったと思います。敬礼。
貴重な動画をありがとう
大日本帝国最後の空母…お役目お疲れ様でした。
お疲れ様でした
きっともっと適切な言葉があるんだろうけど、自分の語彙力ではこれが精いっぱい
茶玄米 今に生きる自分達にとって彼らに言える言葉は「お疲れ様でした」これしかありません。
敗残兵でもとても規律と威厳があるのには心を打たれます。多くの米国人から何故日本兵は強かったのか米国に留学した人たちはよく聞かれたという。その理由が分かるように感じられる動画でした。
最後の方で敬礼をする方が映っていたけど、礼儀正しい日本兵だったんだね
小さいころ聞いた父の話、寡黙な人だったけど・・・戦争が終わってもらった給料が500円、こんなにくれるんだと驚いたけどそれがうどん一杯だったと笑った。ちなみに戦前の建築で我が家は500円で建てたと言っていた。風呂上がりの肩の傷もどうしてこんななのと聞いても弾が貫通したから良かった、治療は無かったけど治った。・・・普通の大正生まれの男だった祝日には玄関の横に大きな日章旗を掲げていたそんな景色が心の中にある、そう言えば忘れていたよすみません
当時も皆さんはマスクをしていますね。日本人が考える事は今のコロナと同じ有事の時は自分で最小限の努力をするという事ですね。今も昔も日本人の気質は変わらない!相手に迷惑をかけない。今の日本は再構築するべき時が来ましたね。
胸が熱くなりました。
敗北したとはいえ、無事に祖国に帰れてよかったですね…
短い動画でしたが思わず目が熱くなりました…( ノД`)
30半ばのオッサンですか、大好きだった祖父(60才年上で他界してます)が乗ってました。私が小さい頃、祖父が毎年、葛城会という同窓会に参加してました。おじいちゃんを思い出せて嬉しいです。会いたいわ
敗戦しての帰還ですからね。見てて胸が痛みます。国と国の家族の為に命懸けで戦地に行き、苦難の末の帰国。安心とか嬉しさもありながら複雑なお気持ちだったでしょう。多くの戦友を亡くしたでしょうからね。
しかし、この時も規律正しいですね。さすがです。本当にありがとうございました。
内地に帰れた!
さぞ皆さん嬉しかっただろう!
ホントにお疲れ様でした。
小さな島国が大国相手に4年近くもよく戦ったと思うよ
ほぼ全世界相手にすごいよ…この頃の方達は。
ドイツ、イタリアは表面上だけの同盟だったのか
@@CHANNEL-gg3ow
当たり前だな。
だから、未だに各国は日本🇯🇵という国を恐れているんだよ、負けても経済大国であり軍備も世界有数でね
松本健介 山本五十六がアメリカにだまし討ちしたからいかんのよ。ヨーロッパの国だけとしていたら負けなかった。。
ラバウルは米軍の戦略拠点を外れたとはいえ激戦地でしたから、これだけ元気な兵隊さんが帰ってこれたのはひとえに今村大将の指導力の賜物、そして帝国陸軍将兵がどれだけ頑強だったかを物語っていると思います。
皆さん元気に見えるのは敗戦後に配られた食事によって栄養が行届いた、と見れなくもないけど其々が持っている装備が良すぎる感がある。もしかしたら第一線の部隊ではなく、二線級の、都市部の警備などをしていた部隊じゃないかな?負傷兵・傷病兵の姿も見られないね。ですが皆様立派にお国のために南方に出征されていた方々です。無事に復員できてよかった。
うんもすんもなく戦争に駆り出された皆さん、そして戦後復興に邁進された皆さん。
私たち現代人これだけ満たされてるのに文句言い過ぎです。
ごめんなさい。
この平和な日々を当たり前とせずもっと真摯な気持ちで過ごすべきだと思います。
3:35
一人の個人の顔のアップ
70年前とは思えない鮮明さ
この人がどんな気持ちで戦争に行って、敗戦した日本に帰ってきて必死に生きてきたか
そんな個人個人の必死さで、今の自分達の生活があると思うと、頭が下がる
おかえりなさい!良かったですね。無事のご帰国心よりお喜び申し上げます。
皆さんのおかげで今の日本があります。有り難う御座いました。
「ラバウル航空隊の軍歌」イイ歌でしたよく歌ってました(92歳ポンコツ爺)
乗船した兵隊さん達は葛城を目の当たりにして「日本にはまだこんな大きな艦が残ってたのか!」と大いに勇気付けられたそうです。
東京九段下の昭和館にはこの映像を含む戦前戦後の資料映像が沢山あります。
アメリカやオーストラリアからの映像、また外国人が撮影した個人的映像も。
ちなみに映像ライブラリーと図書室利用は無料です。
満州関連も沢山あります。荒木大将や中野正剛の演説も。
復員船には今東京に展示されてある宗谷も使われてたそうです。
負けても整然と行進するようにあるいてる、日本兵立派です。